日々の生活にhappyをプラスする|ハピタス

そうだったのか

ここ数日、悶々としていました。
精神的にかなりやばかったです。
実は、あることがありました。人が精神的に参ってしまうのは、金のことか、このことです。察しのいい人は分かりましたか?
そのことによって、他の物事にも悪影響を及ぼしました。まったくどうしようもないです。
そして、色々悩みました。
悩みに悩み、普通の生活もままならず、本を読んだり、誰に相談しようか悩み、学校の先生にも相談して、あることに気づきました。


それは、自分は敏感すぎるということです。人の痛みや、物事に対して敏感すぎるのです。その中でも人に好かれたいから、そんなにおごってはいけないと思い、今までやってきました。
本当に今まで苦しかった。何年も、自分はなぜ上手く行かないんだろう、そういう思いが強かった。
そして今回、悩みに悩み、というか人に相談している中で、
「自分は人の相談とかは本当に親身に受ける、今まで自分よりも親身になって相談に応じてくれる人に出会ったことがない、それは自分が心を開いてないからだろうか」
こういうフレーズを自分は言いました。


家に帰って、ある人にメールを送りました。その人には色々相談を受けていて、それで数日前と今日、深刻な顔をして電話をしていたので、別にそんな心配じゃなかったけど、少し気になって、大丈夫?的なメールを送りました。
そしたら、何のこと?的なメールが返ってきて、その後電話がかかってきて、こちらが逆に、どうした?的なことを言われ、僕は、は?と思ったけど、向こうは何のことを心配されたか分かってなくて、こちらが詳しく(深刻そうな顔をして電話してたじゃん)いうと、そんなに深刻な顔してた?的なことを言われ、その後少し話して電話を切りました。
そしてふと、ひらめきました。それは、自分よりも親身になって話を聞いてくれる人がほとんどいない=自分は人に対してかなり親身に相談にのってあげられる。
そういう結論に達しました。
自分はただ敏感すぎるだけなのです。
ちなみに電話の相手とは上手くやっているけど、この人には重要なことは相談できないな、あまり親密にはなりたくないな、と心の中では思っているのです。


周囲の人と話をしていて通じないのは、周囲の人は鈍感すぎて気づいていないことを、自分は気づいてしまう。だから話が通じないのだ。
ただそれだけのことです。


だからもう少し適当に生きよう、ただそれだけのことです。
先日読んだ『鈍感力』、まさにそれです。


このブログも実は、僕のことを知ってる人も少しは見てくれているので、いい格好をしようという思いで書くと、今日のように文章が長くなってしまい、かなり疲れてしまいます。実際、今もかなり疲れた。


僕のことを多くの人に分かってもらう必要はありません。なかなか分かってくれる人がいないからこそ、もし誰か分かってくれたら、とても嬉しいのです。


と言う訳で、このブログ、手を抜こうかと思います。